今年の3月にヨメから誕生日プレゼントとして荻窪の老舗旅館『旅館西郊』を招待してもらったので、今日はそのお返しでヨメの誕生日に都内の老舗旅館へご招待。
場所はというと東京の台所、築地。
普段、赤提灯しか目に入っていないので見落としがちだったが、
駅を出た瞬間から緑青浮かぶ銅板建築たちや板張りの木造建築が
今宵の宿への期待を膨らませてくれる。




グッとくる建築物を横目に歩くこと約5分、
近代的な高層ビルヂングの狭間に取り残されたように鎮座していたのが
本日のお宿『大宗旅館』。


元々は築地の仲買人だった先代の住宅として昭和3〜4年頃に建てられたのだが、
昭和5年に旅館業へとジョブチェンジし、約95年の時を経て現在まで営業をされている大老舗旅館だ。

さっそくガラガラっと引き戸をすべらし、
ごめんくださ〜い
と声をかけるが反応はナシ。
そこそこの声量で声をかけ直すも変わらず反応が無い。。。

どうしたもんかと思ったその時、
視界の片隅に入ってきたのがこの木製のキツツキ。

まさかと思いながらも指示通りに強めに鳴らすと、、、
はぁぁ〜い♡
とお母さま。
あのぅ、、、
僕の声ってもしかして、
モスキート音でしょうか。。。

簡単にご挨拶を済ませ、
真っ暗な廊下と階段を突き進むと本日のお部屋が見えてきた。



先述したようにもともとは自宅として建てられたため、
冷蔵庫が装備して無かったり部屋の鍵は内鍵オンリーの引っ掛けタイプだったりと、
令和の宿としてはなかなかスパルタンなスペックだ。

だが、そんな個性たちを補って余りあるのが
なんといってもこのくれ縁(縁側)だろうか。

昭和初期のこの旅館と窓の外のアーバンな建物との境目とも言えるこのわずかな空間にグッとくる。
今夜はここで一杯飲ろうじゃないか。

とは言ったものの、こちらの旅館では食事の提供をされていないので、夕食は築地の街に出ることにして、食後の晩酌をここで楽しむことに。
夕食に向かったのは、かねてより気になってた本種さん。

外国人観光客で溢れるメインエリアから少し奥まった場所にあり、地元民に静かに愛され続けている人気の町寿司屋さんだ。

夕食を済ませ旅館へと戻ってきたが、
くれ縁で晩酌を始める前にもうひとつとっておきのイベントがある。
そう、お風呂だ。
お風呂と言っても大浴場なんかではない。

個人宅感満載のこじんまりとしたハコで、
昔ながらの玉石モザイクタイルが
おばあちゃん家か
となりのトトロの草壁家を彷彿とさせる、
ザ・昭和の風呂場タイプ。

解放すると風呂場が丸見えになってしまうナゾ窓はもちろん鍵なしタイプで
使途は不明だがこれもまたなんだかグッとくる。。。




給湯は現代的なシステムを採用されているので、
シャワや追い焚き等は問題ナシ。

強いて言えば、昔ながらのほぼ正方形のステンレス浴槽がこじんまりしすぎて
メタボのおじさんにはちょいと窮屈な体勢での入浴となるが、
こんなのもまたおばあちゃん家で過ごした少年時代の思い出がフツフツと込み上げてくる。
ノスタルジー溢れるサイコーの体育座りの湯だった。

入浴を済ませ、一息ついたところでそろそろあそこで飲りますか!
実はもうチェックしてありましたよ、晩酌のお供を。
本種さんの帰り道にロックオンしてあったのは旅館からほど近い鳥椿さん。


事前にテイクアウトの唐揚げセットを予約し、
回収がてらコンビニで酒を買い込んだら2ラウンド目のスタート!

茶色い空間に茶色いツマミが良く似合うぜ!

見事なまでにセピア色な晩酌を愉しんでいるとあっという間に酔い気分に。
日頃の疲れもあってか、程なくして寝落ちしてしまった。。。

どれくらい寝てしまってたのだろうか、
ハッと目が覚めると外は薄明かり。

ここが大都会・銀座からもそう遠くないエリアだということを忘れさせてくれるような静けさだ。
自宅なら二度寝するところだが、それじゃあもったいない。
飲みかけのプラカップに焼酎を濃いめに足し、
大きめのロックアイスをドボンとひとつ。
香り付け程度にレモンソーダをちょっぴり注げば
チビチビと飲れる夜明けのレサワの完成だ。
氷で徐々に薄まっていく酒をチビチビと舐めながら、
夜明けとともに浮かびあがる近代的な景色をこのレトロな空間でただただ眺める。

昭和から令和へのグラデーションがこの時間帯の他ならぬツマミ。
レトロ旅館酒の仕上げに相応しいひとときだった。

楽しい時間はあっという間で、もうまもなくチェックアウトの時間。
今一度この旅館の魅力に触れ、残りの時間を楽しんだ。




今からちょうど80年前。
第二次世界大戦が熾烈を極めていた頃、
東京都区部はアメリカ陸軍航空軍から未曾有の無差別爆撃を受けることとなる。
広島・長崎への原爆投下や沖縄戦に並ぶ焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃、東京大空襲だ。
その際、アメリカ軍は『聖路加は焼かない』というビラを飛行機から撒き、爆撃を除外したという。
聖路加国際病院はアメリカの聖公会が建てた病院で、終戦後の接収を見込んでのことだったそうな。



聖路加からほど近いこの大宗旅館が戦禍を免れられたのも、
そうした背景もあってのことだろう。

時代は令和になり、戦争の危機感はほぼ解消したが、
土地開発という新たな脅威がこの街に襲いかかっている。

どうかこの先100年もこの空間で飲れることを願ってやまない。


帰り際、旅館の外でずっと見送ってくださるお母さまに
ありがとうございました〜
お元気で〜
と挨拶をすると
はぁぁ〜い♡
また来てね〜♡
と可愛らしく手を振って頂けた。

昨日よりもちょっぴり大きなモスキート音のような僕の声が
しっかりとお母さまに届いた帰り道だった。

大宗旅館









コメント